日曜日, 8月 09, 2009

パターン、Wiki、XP ~時を超えた創造の原則


あらかじめ言っておくと、
ここで「パターン、Wiki、XP」の内容については、ほとんど触れない。
書評ではなくて、本当に私の個人的な感慨でしかないことを、予めお断りしておく。

発行日に、わざわざ書店の倉庫から引っ張り出してもらって購入し、
さらに、著者の江渡さんにはRubyKaigi2009でサインももらったのに
未だに、感想を書けずにいた。

今日は、上記の流れも手伝って、Wikiばな vol.7に行ってきた。
おかげで、ようやく自分の中の思考がまとまってきたようにおもう。

私にとって、「パターン、Wiki、XP」の内容は、
決して期待を裏切るモノではなかった。
いや、むしろ非常に腑に落ちるお話だった、といっていいだろう。

アレグザンダーとデザインパターン、XPのつながりについては、
角谷さんがデブサミで発表したのを聞いて知った。
ジュンク堂で行われた「パターン、Wiki、XP」出版記念のイベントのUストリームも
見ていたので、Wikiも同源であることを知った。

なのに、なぜかこの本を読んで、強いヤラレタ感のようなものを感じてしまい、
それが、今まで感想を書けずにいた理由のようなのである。

もちろん、自分には江渡さんのような仕事ができるわけではない。
いつか、書いてやろうと思っていた訳でもない。

ただ、私はずっとWikiに対してこだわりを持っていた。

こだわりというのは、つまりWikiというものに魅力を感じていて
この魅力はいったい何処にあるのだろう?と
思っていたということである。

江渡さんの書かれた本は、わたしのもやもやに対する
一つの回答だった。

ただ、これは自分でもっと突っ込んで調べるべき事だったのではないか?
ヤラレタと思ったというのは、そういうことである。

出題されたパズルの答えを、ズルして見てしまったような気持ちなのかもしれない。


さて、ところで私がWikiに惹かれている部分は、コラボレーションの部分だけではない。
それは、思考ツールとしてのWikiの可能性である。

どういうことかというと、昨今大流行のMindMapは、データとしてみれば単なるTree構造だ。
しかし、実際の思考は、むしろセミラティス構造であると考えた方が自然だ。
そうだとすれば、ハイパーリンクによってネットワークを記述できる
Wikiは、思考の記述法として、MindMapよりも自然なものなのではないか?

一方、セミラティス構造は、ツリー構造に比べると非常に複雑になる。
Wikiを脳の拡張の外部記憶として扱う場合、
例えばアイデア発想法の助けとする場合、
どのような形であれば、有効だろうか?
うまい分析方法、そして視覚化の方法というのはないのだろうか?

そういう方向へのWikiの可能性について、今後考えてみたいと思う。

そして、いつか、私はそのためのwikiシステムをつくりたい。