金曜日, 5月 21, 2010

MIT石井教授 VS ダース・ベイダー 銀河興亡史を振り返って

http://togetter.com/li/17184

これは、書いておかねばならんだろうなぁ。

いや、最初は、ちょっとした出来心。
石井教授がなんか「おもしろそうなこと」やってる。
と思って、おっかけはじめたのだった。

そもそも、おいら不勉強で、石井教授のこと、一昨年前まで知らんかったのですよ。
TVを全くみないというのもあるかもしれない。
退職したアートディレクターの先輩が「クレイジーエンジニア主義」という本、
http://amzn.to/dnwnEu

そして「タンジブル」と「石井教授」のことを教えてくれたのだった。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000789&__r=1

ぐぐって、映像をみて、一発でファンになった。
その後、良いタイミングで、AXISの講演会が行われることを知り、早速申し込みをして行ってきた。
http://bit.ly/d8e9Hi
http://bit.ly/bnIE78
http://bit.ly/d4s5wO

はい。ちゃっかりサインも、もらってきました、以下の通り。




しかしだ。
折角会えたというのに、お話しできるネタを持ってない自分が悔しかったな。
しどろもどろ「ウェブ屋です…」
おそらく、生身で会うのは、頂いた言葉の通り「一期一会」に違いあるまいに。

ところで、残念ながら石井教授の国内での「一般的な知名度」はそれほど高くないらしい。
Twitterのフォロワーが、まだ5000人に達してない、もったいない!
さぁ、フォローしてない人は、すぐしろ。今しろ。w
http://twitter.com/ishii_mit
石井教授の経歴や実績を考えるとあり得ないのだが、研究というモノに対する一般的認知とは、そんなものかもしれない。

これは、同時期に「孫正義 VS 佐々木俊尚 光の道対談」の方も追っかけていたので、より強く感じたのだった。
http://togetter.com/li/17578
もちろん、これはトピックとしても内容的にも興味深い企画でしたよ。
でも、コンテンツとして、石井教授の試みも決して負けてはいない。

今、まさに起きている出来事を反映し、競合や他コンテンツ・ネタに縦横に通じ、
さらに石井教授の個人的な感性にも繋がっていて、趣味や人柄が偲ばれる。

ただ、ドコモが無視せずにおれないほどには、一般的な認知が広がらなかったのだと思われ。
本当に、残念だ。
これが、ソフトバンクの孫さんなら、反応していたかもしれない?
とか、思わなくもない。

「銀河興亡史」についてだが、最初は、石井教授の発言だけを追っかけていたが、
後に、石井教授が @で拾い上げている方のコメントも入れるようにした。
ただ、TwitterのSearch APIの制限だと思うが、古いモノは拾いきれなかった模様。
申し訳ない。

石井教授の最初のつぶやきが、4月26日。
おいらがそれを拾い始めたのが、4月28日。
石井教授も、その時にはこんなに続くとは思ってなかったと思うがw
とうとう、5月20日の今日、最終回を迎えた。
石井教授、有り難うございました。
本当に、お疲れ様でした。

直接は関係ないが、菅谷明子さんの「ポチ」= iPad の話、
http://blog.goo.ne.jp/akikojournal/e/dd61261d84cca35fdd547079f0b12d47
自分のiPadに対する考えと近いものを感じて、Twitterでも、つぶやいたりしてたのだが。
後で、石井教授の奥様だと気がついて、本気で焦った。^^;
記事をちゃんと読めば、キチンと書いてあったのだが…。

そうだなぁ。
石井教授には、ディスカヴァー携書 か、
ハヤカワ新書juice あたりで、一冊出して欲しいものだ。

お忙しいとおもうので、養老じいさんみたいに、
インタビューとか、対談、取材、口述筆記ベースとかでもいいかもしらん。

いかがなモノでしょうか? > ディスカヴァー 干場社長

日曜日, 5月 09, 2010

iPad「ファミコン」説の個人的な理由

芦田氏が、2個目のiPadエントリをポストしたようだ。
http://www.ashida.info/blog/2010/05/ipad_ipad_1.html

だからというわけでもないが、私も補遺をポストしておこうと思う。
http://blog.alglab.com/2010/05/ipad.html ※前のエントリ

私がなぜ、iPad「ファミコン」説を書こうと思ったか?
私が抱えている具体的な問題について書いてみようと思う。
なお「ファミコン」という言葉は、他に適当な語彙を思いつかなかったから選んだものなので、他意はない。


さて、理由は2つある。

  • 家でPCを触っていると妻がかまって光線を出す
  • 父や祖父母に自分の仕事を説明したい

iPadがこの問題の解決手段になりうるのではと期待し、なにが従来のPCと何が異なるかと考えたとき「ファミコン」というのに思い至ったわけ。


まず1つ目。これは、PCや携帯が周囲をスポイルする性質についての話。

カフェでカップルが向かい合わせに座って、互いに携帯に向かってポチポチやってるという状況は割とよく見るし、おいらは別にソレでもいいかな?とおもってたりする。
でも、それを耐えられないくらい不愉快に思う人もいるらしい。例えば、私の妻であるw

妻は、特にITリテラシが低いというわけではない。一応、以前はHTMLのコーディングで食べていたわけだし。少なくともアラフォーという年齢相応にはPCだって携帯だって使っていると思う。(※本人検閲入りました。永遠の14歳だそうですw)
でも、私がPCでmovieをみたり、TwitterのTLを見てくすくす笑ったり、ブログのエントリを書いていたりすると、どうもほっぽかれている感をおぼえるらしくって、そういうつもりもないけど疎外しちゃうようなのだ。時々機嫌が悪くなる。
不思議なことに、これが読書だと表立たない。私自身にとっては、どちらもあまり変わらんのだが。

どういう事かというと、前のエントリに書いた通りPCや携帯というのは、際立ってパーソナル向けの機器なのだとおもう。
ネットワーク越しにはコミュニケーションツールとして作用するのだが、その為に尚更、同じ物理的空間にいる人とのコミュニケーションを阻害する面があるのだ。
もちろん、この性質には役に立つ場面もある。
例えば、あのクソ混みまくって不快な身体距離を強要され、時間的にも体力的にも無駄としか思えない通勤電車の中で、かろうじてパーソナルな空間に閉じこもる手段を提供してくれるわけだし?

一方、その昔、茶の間のテレビや新聞が果たしたであろう役割?家族に対する共通話題の提供機能は、ほぼ皆無。外側の不特定多数に向かっては開かれるけど、家族など既存のコミュニティの内側に向かっては、個を閉じやすい?傾向を持つ。

まぁ、これがネットやコンピュータがバーチャルだ、なんていわれる所以だと思う。
ヒキコモリとかね。そりゃ、ネットゲーとかやって部屋からでなけりゃ、家族から見たらヒキコモリでしょうよ。でも、ある意味では、よっぽど広い世界に繋がっているとも言えるわけで。そのあたりの逆転関係が興味深い。

iPadをテーブルの上に平置きする、という使い方は、設計レベルで考慮されているかどうかよく分からない。実際に使ってみないとね。
しかし、ま、私が想定するのはそのようなイメージだ。


さて、2つ目は、高年齢者のデジタルデバイド?みたいなお話。

私は英語が苦手なので、英語で何かしなければならないという機会をなるべく避けたいと思う。君子危うきに近寄らず。
私のオヤジより上の世代は、それと似たような感覚をキーボードに対して持っている。キーボードとマウスは、パソコンの象徴といってもいいだろう。

90を超える、祖母の世代などに至っては、なおさら「は?」という感じであろう。
父母の世代が家の中にパソコンを持ち込まなかったため、インターネットという言葉はTVで聞くから知っているだけで、まったく興味がないと思われる。

そういう人達に、インターネットについて興味を持ってもらう端的な方法は何か?
TV電話のデモンストレーションとかわかりやすそうだ。
しかし、そもそも興味ないんだから、ブロードバンド回線が引かれているわけでもなく。
田舎なので、3Gがなんとか入るくらいで、Wi-MAXもポケットWi-Fiも入りゃしない。
だから、「光の道」構想で、全世帯に電気のように高速通信網を引くとか、やるならさっさとやって欲しいとおもったりするわけだが…、話がずれた。
まぁ、お年寄りがよく知らないものにお金を払う訳ないじゃん、という話。
卵が先?鶏が先?みたいなね。
私には子どもがいないが、孫とかの顔を一年に1回の帰省時だけじゃなくて、その気になれば毎週でも毎日でも見られるとなれば、じっちゃん/ばぁちゃん、インターネット回線が何かわからなくても喜んで引くんじゃない?

このようにネットワークを繋げることが最大の難題だが、機器側にも問題がある。
ネットブックだろうが、PCだろうが、とにかく難しすぎる。だって、キーボードがいるんだよ。
携帯やiPhoneはありだとおもうが、老眼にiPhoneレベルの字の大きさはツライんじゃない?
それから、ちゃぶ台の上で茶を飲みながら「一緒」にというのを、あの人達はとても大事にするのね。
日に3〜5回くらい、お茶しては、世間話してるように見えるw

だから、iPadだったら?って思ったわけですよ。

「ファミコン」が、iPadの活用の全てとも思わないけど、iPadはネットブックや携帯、スマートフォンとは異なるコンピュータだとおもうのね。

悔しいけど、iPadを実際に使い込んでないのが、この論の最大の弱みw

木曜日, 5月 06, 2010

iPadのもたらす可能性について

このエントリを書くきっかけになったのは、芦田氏の記事だった。
http://www.ashida.info/blog/2010/05/ipad_ipad.html

iPadが米国で発売されてから、持って帰ったり、輸入したり、知り合いに買ってきてもらったり、ヤフオクで落としたりと、結構な台数を周囲で見たと思う。
ところが、iPadの発表当初は割と見られたと思う否定的な意見を、発売以後はほとんど見たことがない。
そんな中で、まとまった形で批判的な意見が書かれた記事ということで、興味深く読ませてもらった。

読んだことで、自分がiPadに何を期待しているかはっきりした。
これは、個人的な期待を含めていうのだけど。
iPadは、新しいコンピューティングスタイルをつくるエポックメイキングなマシンになる。

ま、iPadの実物に触ったのは、数分程度。
だから、此処に書くのは、あくまで想像と印象、期待と概念についての話であることを、一応断っておこう。
手に入れたら、別に感想でも書くけどね。


さて、一定の年齢より若い人の中には知らない人もいると思うが、PC=「パソコン」という言葉はパーソナルコンピュータの略だ。
これは、かつて個人がコンピュータを持つことが当たり前ではなかった時代に、オフィス用のコンピュータに対して個人が所有し使用するコンピュータに対しつけられた名称だと思う。オフコンって言葉もあったっけ?知らない人の方が多い?
一方パソコンとは別に、ファミリーコンピュータという言葉もあった。つまり、任天堂の「ファミコン」だ。
こちらは一般名詞というより商標なので、あまり概念という感じはしないけどね。
ファミコンの初期のゲームには、対コンピュータの1人遊びと、対戦型の2人プレイを楽しめるものが多く、確かにファミリーが一緒に使用するコンピュータという一面を持っていた。スポーツの対戦ゲームを思い浮かべるとわかりやすいだろうか?

私が個人的にiPadに期待していることが、この「ファミコン」の復活・復権なんだな。
ゲームだけじゃなく、もうすこし汎用的に共同で使用されるコンピュータのイメージ。

「パソコン」はいくら画面が大きくなろうが、マルチディスプレイにしようが、ディスプレイにキーボードとマウス、デスクに椅子という組み合わせである限り、1人で使用するものだ。ノートPCになっても、この状態は特に変わらない。
ペアプログラミングなどというものがあったりするが、わざわざ名前がついているくらいだから、2人以上で1台のパソコンを使うというのは普通じゃないんだ。
プレゼンをするときも、画面を見せている相手は大勢でも操作するのは1人でしょう?

では、iPhoneならどうか?
タッチスクリーンはいい。
でも、今度は、小さ過ぎるんだ。
向かい合わせにしても、隣合わせにしても、2人で見るには少々小さすぎる。
本当に見せたい場合は、手渡す必要がある。
それから、スマートフォンは携帯と比較されるレイヤーの商品なので、パソコン以上に個人使用の色が強いんだよね。

さて、iPadだ。
芦田氏の指摘の通り、iPadは携帯性ではiPhoneより落ちる。
ブックリーダとしても、バッテリーの持ちなど微妙に中途半端かもしれない。
一方、汎用性や性能では、ノートPCには叶わない。

でも、iPadは下記の特徴を全部持ち合わせている。

  • マルチタッチのタッチスクリーン
  • iPhoneよりは大きく、PC程かさばらない画面の大きさ
  • テーブルに置きやすいスレートという形(キーボードなし)
  • ケーブル不要(Wi-Fi・バッテリ駆動)

これなら、ペアコンピューティング、マルチコンピューティング =「ファミコン」 が、ある程度可能じゃなかろうか。

iPadには、iPhone同様メールやカレンダー、住所録がついてくるし、マルチアカウントでもない。どうやら、個人ユースの流れを汲む商品のようにみえる。また、今のところカメラもついていない。(マイクはどうなんだろう?)
つまり、iPadは徹底して「ファミコン」を追求したマシンではないし、Jobsも「ファミコン」という使い方を明確には意図してはいないと思う。

でも、iPadが進むべき方向は、こっちにあるとおもう。あって欲しいと思う。
iPadがPCから離れて、スタンドアローンになったら、もっとはっきりするんじゃないかな?


ちなみに、私はiPod-Touchを買って、そのあとiPhoneを手に入れた。

機能の差は、

  • 3Gでいつでもインターネットに繋がること
  • カメラがついていること
  • GPSがついていること
  • (ついでに)電話がかけられること

以上。

大した違いではないようにも思えた。
ところが、実際に使い始めると(最後の一つを除いて)これらの一つ一つが、ものすごく大きな違いであることに気がついた。

iPadに対しても、そんな期待があるんだよね。


#追記 100507_23_15
パソコンの前に、マイコンって言葉があったはず。いつのまにやら死語になってたけど。
マイクロコンピュータに、後で「my=自分の」という意味あいが付け加わったものだったはず。
記事では「ファミコン」って言葉を使っちゃったけど、ホントはファミコンじゃないんだよね。友達同士や、なんかの集まり、会議の場なんかを含むわけで、家族団らんのイメージにだけに縛られたくはないし。
とはいえ、こんな記事を見ると、ファミリー向け訴求はマーケティング的には「あり」という気がしてくる。
http://bit.ly/br4m5s



日曜日, 5月 02, 2010

「国家の品格」今更読んでみた

国家の品格 (新潮新書)
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藤原 正彦
新潮社
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3 玉石混合
4 日本人はもっと日本を愛して欲しい。
4 場違いかもしれませんが・・・・
2 偉大なる感想文
4 これでいいと思う。


たいそう売れた本らしい。
この手の本、ほとんど新刊では買わない。
世の中で非常に売れたらしい本は、旬が遙か遠くにいったころに
ブックオフで100円で仕入れる事にしている。
今だったら「1Q84」とかw

http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原正彦

実は、この人絡みの本、一冊だけ読んでいた。
「博士の愛した数式」(小川洋子)の出版後、共著で書かれた「世にも美しい数学入門」。
これは、良かった。「国家の品格」も、ほぼ同時期に書かれた本なんだよな。

ま、裏表紙の写真とか、本文の書き出しとか、なんか胡散臭いオヤジなわけだが。
グローバル化しか見ていない日本を真っ向から否定していて、なんとも小気味よい。
論陣は、牽強付会だと思うので、鵜呑みにすべきではないと思う。
そもそも、この本の中で著者自身が論理だけでモノゴトを進めることを否定しているのだから。
後は、自分でよく考えろ、ということだと思って読めばいい。

それでも、いくつか気に入った部分はあった。
「家族愛」>「郷土愛」>「祖国愛」>「人類愛」
のくだりとかね。

難しいと思ったのは彼が「武士道精神」と呼ぶ「しつけ」を重視すると思われる教育論。
これは、学校教育というよりは「親」や「世間」に依存する部分だと思う。
おそらくは、実践すべき環境そのものが既に失われて久しい。
そういう意味では、彼の主張が正しいにしろ間違っているにしろ、検証が不可能に思える。

いずれにしても、今の日本は名目上のグローバル化に寄りすぎているのかもしれない。
グローバルの中でこそ生きるはずの、ローカルから生まれる普遍性に価値を見出していない。
日本人が日本人としての誇りを見失っているということ。

ナショナリズムに走るのは論外だが、彼のいうところの「祖国愛」について考えるのは、悪くない。
「日本が好きだ」と、てらいなく言えたらいいと思う。