日曜日, 5月 09, 2010

iPad「ファミコン」説の個人的な理由

芦田氏が、2個目のiPadエントリをポストしたようだ。
http://www.ashida.info/blog/2010/05/ipad_ipad_1.html

だからというわけでもないが、私も補遺をポストしておこうと思う。
http://blog.alglab.com/2010/05/ipad.html ※前のエントリ

私がなぜ、iPad「ファミコン」説を書こうと思ったか?
私が抱えている具体的な問題について書いてみようと思う。
なお「ファミコン」という言葉は、他に適当な語彙を思いつかなかったから選んだものなので、他意はない。


さて、理由は2つある。

  • 家でPCを触っていると妻がかまって光線を出す
  • 父や祖父母に自分の仕事を説明したい

iPadがこの問題の解決手段になりうるのではと期待し、なにが従来のPCと何が異なるかと考えたとき「ファミコン」というのに思い至ったわけ。


まず1つ目。これは、PCや携帯が周囲をスポイルする性質についての話。

カフェでカップルが向かい合わせに座って、互いに携帯に向かってポチポチやってるという状況は割とよく見るし、おいらは別にソレでもいいかな?とおもってたりする。
でも、それを耐えられないくらい不愉快に思う人もいるらしい。例えば、私の妻であるw

妻は、特にITリテラシが低いというわけではない。一応、以前はHTMLのコーディングで食べていたわけだし。少なくともアラフォーという年齢相応にはPCだって携帯だって使っていると思う。(※本人検閲入りました。永遠の14歳だそうですw)
でも、私がPCでmovieをみたり、TwitterのTLを見てくすくす笑ったり、ブログのエントリを書いていたりすると、どうもほっぽかれている感をおぼえるらしくって、そういうつもりもないけど疎外しちゃうようなのだ。時々機嫌が悪くなる。
不思議なことに、これが読書だと表立たない。私自身にとっては、どちらもあまり変わらんのだが。

どういう事かというと、前のエントリに書いた通りPCや携帯というのは、際立ってパーソナル向けの機器なのだとおもう。
ネットワーク越しにはコミュニケーションツールとして作用するのだが、その為に尚更、同じ物理的空間にいる人とのコミュニケーションを阻害する面があるのだ。
もちろん、この性質には役に立つ場面もある。
例えば、あのクソ混みまくって不快な身体距離を強要され、時間的にも体力的にも無駄としか思えない通勤電車の中で、かろうじてパーソナルな空間に閉じこもる手段を提供してくれるわけだし?

一方、その昔、茶の間のテレビや新聞が果たしたであろう役割?家族に対する共通話題の提供機能は、ほぼ皆無。外側の不特定多数に向かっては開かれるけど、家族など既存のコミュニティの内側に向かっては、個を閉じやすい?傾向を持つ。

まぁ、これがネットやコンピュータがバーチャルだ、なんていわれる所以だと思う。
ヒキコモリとかね。そりゃ、ネットゲーとかやって部屋からでなけりゃ、家族から見たらヒキコモリでしょうよ。でも、ある意味では、よっぽど広い世界に繋がっているとも言えるわけで。そのあたりの逆転関係が興味深い。

iPadをテーブルの上に平置きする、という使い方は、設計レベルで考慮されているかどうかよく分からない。実際に使ってみないとね。
しかし、ま、私が想定するのはそのようなイメージだ。


さて、2つ目は、高年齢者のデジタルデバイド?みたいなお話。

私は英語が苦手なので、英語で何かしなければならないという機会をなるべく避けたいと思う。君子危うきに近寄らず。
私のオヤジより上の世代は、それと似たような感覚をキーボードに対して持っている。キーボードとマウスは、パソコンの象徴といってもいいだろう。

90を超える、祖母の世代などに至っては、なおさら「は?」という感じであろう。
父母の世代が家の中にパソコンを持ち込まなかったため、インターネットという言葉はTVで聞くから知っているだけで、まったく興味がないと思われる。

そういう人達に、インターネットについて興味を持ってもらう端的な方法は何か?
TV電話のデモンストレーションとかわかりやすそうだ。
しかし、そもそも興味ないんだから、ブロードバンド回線が引かれているわけでもなく。
田舎なので、3Gがなんとか入るくらいで、Wi-MAXもポケットWi-Fiも入りゃしない。
だから、「光の道」構想で、全世帯に電気のように高速通信網を引くとか、やるならさっさとやって欲しいとおもったりするわけだが…、話がずれた。
まぁ、お年寄りがよく知らないものにお金を払う訳ないじゃん、という話。
卵が先?鶏が先?みたいなね。
私には子どもがいないが、孫とかの顔を一年に1回の帰省時だけじゃなくて、その気になれば毎週でも毎日でも見られるとなれば、じっちゃん/ばぁちゃん、インターネット回線が何かわからなくても喜んで引くんじゃない?

このようにネットワークを繋げることが最大の難題だが、機器側にも問題がある。
ネットブックだろうが、PCだろうが、とにかく難しすぎる。だって、キーボードがいるんだよ。
携帯やiPhoneはありだとおもうが、老眼にiPhoneレベルの字の大きさはツライんじゃない?
それから、ちゃぶ台の上で茶を飲みながら「一緒」にというのを、あの人達はとても大事にするのね。
日に3〜5回くらい、お茶しては、世間話してるように見えるw

だから、iPadだったら?って思ったわけですよ。

「ファミコン」が、iPadの活用の全てとも思わないけど、iPadはネットブックや携帯、スマートフォンとは異なるコンピュータだとおもうのね。

悔しいけど、iPadを実際に使い込んでないのが、この論の最大の弱みw

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